こどものくにからきたオトナコドモ

オトナの世界に住むすべてのオトナコドモ達と、一緒にいろんな答えを見つけていくブログ。

オトナのくにの『ナゾの文化』①

f:id:tomoe-miyase03:20201028222804j:image

 

たとえば会社で。

たとえば家庭で。

たとえば友人関係で。

たとえば恋人同士や夫婦間で。

 

それってなんかおかしくない?と思う時。

本当はもっとこうしてほしいと思う時。

コレをやめてほしいと思う時。

誰かの言動に納得がいかない時。

何か意見が食い違う時。

…etc…

 

「ダレかとワタシが違う時。」

 

そんな時

「他人とはできるだけぶつかってはならない」と

反射的につい言葉を飲みこんでしまう

あの"つぐみ癖"は、なぜだろう?

 

「なるべく事を荒立てないように」と

その場に流れる

あの"暗黙の了解"は、なんだろう?

 

相手の言うソレと

わたしの思うコレが違っていても

別にいいのに。

 

あなたの考えと

わたしの考えが

たとえ少し違っていたとしても

何もオカシイ事なんかないのに。

 

だって。

 

生まれた場所も

家族も

育った環境も

通った学校も

出会ってきた人たちも

重ねてきた思い出も

好き嫌いも

得意不得意も

信じるものも

認めたくないものも

その背後にあるバックボーンも

物事の見方や捉え方も

今置かれている環境や立場も

ぜんぶぜんぶ、ぜーんぶ違うはずなのに。

 

同じ目で見て

同じ心で感じて

同じ細胞で触れて

同じ脳ミソで考えて

生きてきたわけじゃないのに。

 

だってさ、だってさ、

 

アナタが見ている"赤色"と

ワタシが見ている"赤色"が

はたして同じかどうか?なんて

どうしたって確かめようがなくて。

 

ワタシたちは、お互いに、

"ワタシと違うものだらけでできたアナタ"同士。

 

だから、

『違うこと』は当然のこと。

 

 

 

それなのに。

 

いつのまにか

『違うことは良くないこと』と思い込んだ

ワタシたち。

 

違ったって、全然いいと思わない?

 

たまたまワタシは

"この解決方法"しか、知らない。

 

それに対してアナタは

"その解決方法"しか知らない。

 

そしてダレかは

"別の解決方法"しか知らない。

 

 

どれも「正解」かもしれないし

どれも「間違い」かもしれない。

 

 

そんなの、誰にもわからない。

 

全部、

試してみなきゃ、わからない。

 

でもきっと

全部試してみたところで

そんなのは

時代や場所や立場や相手が変われば

いくらでも簡単に変わってしまう。

 

ほら、だからやっぱり、

「正解」もなければ

「間違い」もない。

 

ワタシにも

アナタにも

ダレカにも

それが正解か不正解かなんて

誰も言えないし、決められない。

 

きっと、わたしたちは

正解や不正解を見つける達人になっていて

自分にも、他人にも、

いとも簡単に

◯や✖️をつけてしまうことが

とてもとても上手になったんだね。

 

でもさ。

 

違ったって、よくない?

 

コレもソレもドレも

ただの『個性』じゃない?

 

「アナタの答えは、ソレなんですね。」

「ワタシの答えは、コレです。」

「アナタの答えとワタシの答えは少し違いましたね。」

「でも、それもいいですね。」

で、良いと思わない?

 

認め合えれば

違ったって、ぶつかったって、

何だっていいと思わない?

 

そう思わない?

オトナのくにのタブー。

f:id:tomoe-miyase03:20201027224109j:image

 

多分。

オトナの世界に住むオトナのみなさんには

きっと絶対怒られちゃうんだけど。

きっと絶対ダメ!やめなさい!って言われるんだけど。

 

…でも。

 

でもでもでも。

 

できることなら

自分の口から出す言葉には

一切のウソを孕ませたくない。

 

だって、

気の進まない飲み会には

「そこに喜びや楽しみをどうしても見出せなくて、全く気が乗らないので今回は遠慮します。ごめんなさい。」

と断りたいし、

 

会社には

「すみません。うちの愛犬が可愛くて可愛くて離れたくないので今日は休みます。」

と電話したいし、

 

誰かの悪口を言っている人に同意を求められたら

「わたしにはよくわからないし、陰で言うことが好きではないので、ぜひ本人に直接言ってみたらどうでしょうか?」

と心からの笑顔で提案したいし、

 

人間関係で理不尽を感じた時には

相手の目をまっすぐ見て

「納得いかないのですが、どうしてですか?」

と素直に問いたい。

 

ウソやまどろっこしいことはもう全部やめて

相手に愛を持って

正直な気持ち"だけ"を伝えたい。

 

いつもいつも

ほんとう"だけ"を

口にしていたい。

 

ただただ

正直で在りたい。

 

本当は

そうやって

理解し合いたいし

許し合いたい。

 

なのにそれは。

オトナの世界ではどうして全部

"やっちゃいけないこと"なんだろう?

 

目の前のその人を

「理解」したいのに?

「ゆるしたい」のに?

 

そしてわたし自身を

「理解してもらいたい」のに?

「ゆるしてもらいたい」のに?

 

そのためにぶつかりたいのに?

 

ぶつかることは本当に悪いこと?

 

ただの上辺だけの薄っぺらい関わり

と、

お互いの本音を晒して

喜怒哀楽も全部見せ合って

何度もぶつかりながら深くなる関係と。

 

どっちが◯で

どっちが点数高くて

どっちが良くて

どっちが正解で

どっちがより「人間」なんだろう?

 

できれば、

できるだけ、

ほんとう"だけ"で生きていたい。

 

そして、

大事な家族や

大切な人達には

恥や照れや意地などを一切含まない

わたしの持っている"ありったけの愛している"を

ありとあらゆるカタチで

まるごと全部差し出そう。

 

いつもいつも

そうやって

ただ『全力』で生きていたい。

 

こどものくにとオトナのくに

f:id:tomoe-miyase03:20201027194240j:image

 

みなさんは

こどもの頃は、どんなこどもでしたか?

 

わたしは

「人はなぜ生まれてくるの?」

「生きるってどういうこと?」

「オトナになるってどういうこと?」

...etc…

いわゆる「人生」や「生き方」というものに

『ナゼ?』や『どうして?』がいっぱいな

こどもでした。

 

"目に見える世界"と

"目に見えない世界"とが

いつもそこに同居していて

その中を当たり前に生きている感じ。

 

だから

この『オトナの世界』が

不思議で不思議で仕方なかった。

 

衝動や動機やプロセスよりも

ひたすら理由や結果を求める。

そんな

「目に見えるものを重視するオトナの世界」。

 

『常識』というそのたった一言のために

本音を押し殺して喜怒哀楽までもコントロールする。

そんな

「ホントとウソを使い分けるオトナの世界」。

 

すでに答えがあるものが大事で

あらかじめ用意されたその答えにそぐわないものは

全部不正解とする。

そんな

「◯と✖️が大好きなオトナの世界」。

 

物事は白でも黒でもなく

かといって真っ赤でもダメで

何でもうやむやな色にしておきたがる。

そんな

「グレーばかりのオトナの世界」。

 

…そしてなにより。

 

それらがまるで正義だ、とでもいうように

それはそれは大きな顔をして

そこら中に横たわっている。

そんな、オトナの世界。

 

そんな

"不思議"の世界を生きていました。

 

もうすぐ

あと数ヶ月で40歳になるというのに

こどもの頃からの

『ナゼ?』や『どうして?』に答えは出せず

それどころか

『ナゼ?』や『どうして?』が

どんどん増えて、大きくなるばかり。

 

約40年分、歳も。経験も。

人並みに積んできたはずです。

 

もちろん、

うまくいったことも

うまくいかなかったこともあったし、

苦い思いも

痛い思いも

楽しい思いも

嬉しい思いも

悲しい思いも

たくさんしてきました。

 

その中で

いつのまにか

空気を読むこともうまくなったし

TPOによって色んな顔を使い分けることも

できるように

一応は、なりました。

 

…でも。

 

何故なのでしょう?

 

全然オトナになりきれません。

 

それどころか

オトナの世界の住人であることに

違和感や疑問を感じるんです。

 

一見かっこよく聞こえる"オトナげ"

などというものに

悲しさすら覚えるんです。

 

わたしたちは

ほんとうは

みんな

『こどもの世界の住人』だったはずなのに。

 

いつからオトナになったんだろう?

 

いつからオトナのフリが上手になったんだろう?

 

本当に知りたかったことは

オトナになってちゃんと知れたかな?

 

本当に大切なものを

こどもの世界に忘れてきていないかな?

 

オトナの世界での生活に

あまりに親しみすぎてどっぷり浸かって

何か大事なことを見落としていないかな?

 

そんな気がするのですが

あなたはどうですか?

 

よかったらコメントなどいただけると嬉しいです。